ある少年の物語 第一章 刃を振り上げて
作者: 黒翼   2011年02月08日(火) 23時15分51秒公開   ID:LKf4jvjK19I
「……ひっ、あっ、うあっ、ま、待ってくれ。違うんだ、これには事情があるんだ…………」
 深夜。それほど大きくもない都市の、高級でもないがまあそれなりの宿屋の一室。
 いつもなら暖かいベッドで眠りにつく喜びをかみしめつつ、夢の世界へと旅立っている時間帯である。が、何が楽しいのかわざわざ男の部屋に夜這いに来た迷惑なお客さんのせいで、おれはこんな夜中にもうひと働きする羽目になってしまった。
 抜き身の剣を肩に担いだまま、安眠妨害をしてくれたお客さんを睨みつけて舌打ちをひとつ。何を勘違いしたのか、お客さんはひぃぃ、と短い悲鳴をあげて、頭を抱えるようにしてうずくまった。
「事情ねえ…………ま、聞かなくても大体想像はつくんだけど」
 お客さんを見下ろす。上から下まで真っ黒で、顔も目のあたり以外全て黒い布で隠している暗殺者っぽい中年の男。宿に忍び込んで寝込みを襲ったまでは良いものの、殺気丸出しだったためにおれに気づかれて返り討ちにあい、今はこうして必死に命乞いの真っ最中…………こりゃ、素人だな。
「ある国の最低最悪な暴君から、殺し損ねたガキを殺して来い、とか言われたんだろ? 殺さなきゃお前も家族もみんな殺す! って脅されたりして」
「そ、そそそそうだ! 俺は無理やりだ。やりたくてやったわけじゃないんだ!」
 顔をがばっと上げて、血走った眼でそう言ってくる。
 うんうんわかるよ、事情は。最近はプロの暗殺者とか兵士とかじゃなくて、あんたみたいなのまでお客さんとしてやって来る。あちらさんがプロを雇うだけの力もなくなってきてるってことだろう。まあ、あの暴君が、上手く国を治められるわけもなかったんだが。
「た、頼むよ。頼む。お願いします。み、見逃してください」
「でもねえ」
 足元にすがりついてくるお客さんを苦笑混じりに見下ろして、おれは剣を構えた。お客さんの口がぴたりと閉じられる。
「自分の命狙ってきたヤツのことを簡単に許せるほど、おれ、優しくないんだな」
 剣を振り下ろす。お客さんが、盛大に悲鳴を上げた。


 …………昔々、あるところに、小さな国がありました。
 その国は争い事を嫌う王様と、穏やかな性格の国民たちが治めていました。
 けれど、王様の子どもの王子様は、争い事が大好きでした。平和を退屈だと言い、他国と戦争するだけの力のないこの国を嫌っていました。
 やがて王様が死に、王子様が王様になりました。
 争い事の好きな王様は、国民の反対をおしきって近くの国に次々と戦争をしかけていきました。力のない国はこてんぱんにやられました。小さな国はもっと小さくなりました。争い事の好きな王様は、いつしか人々から暴君と呼ばれるようになりました。
 暴君は血が流れるのが好きでした。けれど、小さくなってしまった国では戦争ができません。
 なので暴君は、国民同士を殺し合わせることにしたのです。
「私の国に弱者はいらない。生き残りたくば、殺し合え」
 暴君にも子どもがいました。弱者代表として、まず暴君の子どもが殺されることになりました。
 それを知った暴君の子の母は、自らの命と引き換えに、暴君の子を外の世界へと逃がしました。
 外の世界へ逃げた暴君の子は、何度も何度も暗殺者に襲われました。
 暗殺者たちから逃げ続けているうちに、暴君の子は成長し、やがて自分を護るだけの力を身につけました。
 そして、成長した暴君の子は…………暴君をその手で殺すことを、誓ったのです。


 次の日。
 天気は快晴。昼過ぎの森の中は明るく爽やかだった。気分が良ければ、鼻歌のひとつでも歌おうかというところだった。が、すぐ隣から聞こえてくる不平不満の声がそれら全てを打ち消して、台無しにしている。
「寝不足はお肌に非常に悪いというのに…………。肌は女の命だと言われているのに…………」
 呪いでもかけているんじゃなかろうか、というぐらい低い声にびびりつつもそちらに視線を向ける。金髪に紫色の瞳を持った細身の美人がいた。ただし、黒い長衣に身を包み、自分の身長ぐらいある木の杖を握りしめ、目は半開きのままおれを睨みつけている。
「あのー、えーと、とりあえず、ごめん。ごめんなさい。許してください」
「やかましいっ! 男のお前にはわからないだろうが、女にとって睡眠は非常に大切なことなのだ! それを邪魔するのは万死に値する! …………覚悟は出来ているんだろうな?」
 なけなしの勇気を振り絞ってそう言ってみれば、今にも噛みつかれるんじゃないだろうかという勢いで怒鳴られた。最後の方ではにやりと不敵な笑み。今度は隣から不気味な笑い声が響いてきた。
 あー、やばい。おれ、なんか泣きそう。
「あーっ、もう! エル! いい加減にしてくれよ! 大体お前、おれが襲われたってのにのんびりぐーすか寝てたじゃないか!」
 おれが泊っていた部屋の隣に、エルはいた。あれだけ殺気丸出しのお客さんだ。寝ていたおれでも気付いたのに、エルが気付かないはずがない。なのにこいつは、おれの様子を見にも来なかった。ちょっとこれはひどくないか!?
 おれの必死の反撃にも、エルは全く動じなかった。不敵な笑みを浮かべたまま、
「失礼な。このエルティーシャ、セシル様の身の安全を第一に考えております」
 …………怯むなおれ。びびるなおれ。従者口調になったってことは、エルがおれをからかっている時だ。つまり機嫌がちょっと治ったと考えても良い。
「じゃあなんで」
「あの程度の相手、私がわざわざ出て行かなくてもセシル様おひとりで倒せるようになったでしょう?」
「…………」
「六年前は、一人で寝かせるなんてとてもできなかったのに…………うむ、成長したな」
 わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でられる。口調がいつもの調子に戻っていた。どうやら、機嫌を治してくれたらしい。おれはほっと息をついた。
「そう言えば、その暗殺者はどうしたんだ?」
「あ、お客さん? それなら気絶させてロープでぐるぐる巻きにした後、警備隊の詰め所の前に転がしておいた」
 お客さんを見逃してやるつもりはさらさらなかったが、殺すつもりもなかった。全身黒づくめの怪しさ大爆発な格好だったから、警備隊の詰め所の前に転がしておけば、後はあっちでどうにかしてくれるだろう。
 お客さんは黒いアレと同じで、ひとり見たらその街には十人はいると思った方が良い。だから、あの街に長居するわけにはいかなかった。だから、寝起きが最悪のエルを叩き起こす羽目になって、昼過ぎまでこうしてねちねちといじめられることになってしまった。
「気絶させただけ? 相変わらず甘いんだな」
「良いだろ、別に。俺が殺すのは、ひとりって決まってるんだから」
 あの暴君は、俺が殺す。
 それは、六年前に逃げだしたときから、決めていたことだった。
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