無題
作者: 神田 凪   2009年07月06日(月) 16時18分43秒公開   ID:Fpk3UqE6X6I









静かだ。


放課後だからかもしれない。

そこはとても静かだった。

微かに聞こえる部活動生の声。風が木々を揺らす音。

窓から心地よい風が入ってくる。


「先輩」


僕は、前に座っている先輩に声をかけた。

本に視線を向けていた先輩はゆっくりとこちらを見る。


「何?」

「どうして先輩は毎日ここへ来るんですか?」

図書室ここに来る理由なんて、一つしかないんじゃない?」

「いえ、そうじゃなくて」


狭くて、そこまで本の種類がない我が校の図書室は人気がない。
近くに大きい図書館があるせいか、人の出入りはほぼ皆無だった。

でも先輩は来る。


「それは君もでしょ?」

「僕は、ただの暇つぶしです」

「そう。じゃあ私も暇つぶし」


クスッと先輩は笑った。
風でなびく先輩の黒く長い髪を僕はただ眺めた。


ゆったりとした時間。

僕はこの瞬間が大好きだった。



僕は先輩の名前は知らない。

先輩も僕の名前を知らない。




「先輩」

「なに?」

「先輩」

「ん?」

「僕、転校するんです」

「・・・」

「ここに来れるのも、今日が最後です」

「・・・そう」




僕は外の景色を見ながらそう呟いた。

友達にも先生にもさよならを言った。
他に、言おうと思ったのは名前も知らないこの人で。


「先輩、」




先輩の表情は分からない。視線を向けることが出来ない。
悲しくはなかった。つらくはない。

だって、彼女と出会ったのはまだ最近の話で。
僕は彼女のことを何も知らなくて。


悲しくなると思うほど、僕は知らなくて。


でも。


でも、





「寂しいね」



ポツリ、気のせいかと思うくらい小さな声が僕の耳に届いた。
反射的に僕は先輩の方に視線を向けた。

表情は変わらない。いつもの先輩だ。

先ほどの言葉が空耳と思うくらい、何も変わらない先輩だ。
空耳なのかもしれない。でも、僕は都合のいい人間だから・・・。



「先輩」


僕と同じ気持ちだって思ってもいいですか?
先輩も、この時間が好きだったって過信してもいいですか?




「風、気持ちいいですね」

「そうだね」

「もうすぐ暑くなるんでしょうね」

「そうだね」


転校しなければ、きっと僕は先輩のことを好きになったと思う。
今はまだ、彼女を知る時間が少なすぎてそこまで思うことが出来なかったけど。



パタン


先輩は呼んでいた本を机の上に置いた。
そして、真っ直ぐ僕の方へと向き合う。

その視線を受けながら僕は口を開いた。


「最後に聞いていいですか?」

「うん。何?」

「先輩の名前を」



そう言うと、先輩はにっこり笑った。






「秘密」















夕焼け空が瞼に焼き付く。
 
小学生の集団とすれ違う。

見知った近所の人の挨拶。

ここから見える学校の姿。


なんてことのない平凡な風景。

でも、これで最後。



「あー・・・、もうすぐ夏だな」




独り言に答えるかのように、緩やかな風が吹いた。












■作者からのメッセージ
タイトルが思いつきませんでした。
何となく思いついた話なので、何だか中途半端になりました。

ゆったりとした話が書きたかったんです。
読んで頂きありがとうございました。それでは。

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